中1の息子に教える株式投資の始め方

40代の兼業投資家です。2019年の秋に株式投資を始める予定の息子「くま」に、投資の心構え、決算書の読み方、ビジネスモデル等をやさしく教えます。

世間の評判?錯覚資産?・・投資は結果が全て

給湯室で話すOLのイラスト

オリンピックの競技には「採点競技」というものがある。

フィギュアスケート、体操、新体操、水泳の飛び込みなど、審査員がその美しさや完成度を採点して勝ち負けを決める競技だ。

 

フットボールや卓球など、対戦相手がいる競技は勝ち負けがはっきりする。マラソン走り幅跳びのような時間や距離を争う競技も、記録は客観的に判断することができる。どちらが勝ったのかは誰が見てもわかる。

しかし採点競技はそうならない。特にフィギュアスケートではよく「採点が不公平じゃないか?」という話題がでてくる。美しさの基準なんて人それぞれだし、好みの問題もある。たとえ時代が変わってAIが採点するようになっても、その結果に納得がいかない人は常に存在するだろう。

 

 

競技に限らず、この世の中は他人の付ける採点でいろいろな事が決まる。

小学生が学級会長を選出するのも、クラスメイトの評判やら何やらで決まる。幼稚園の学芸会の、劇の主人公が選ばれるのも他人の付ける「採点」で決められる。人生の最初の方からそういう風に決まっている。

 

もちろん、大人になればその傾向は更に強くなる。会社や組織で「誰が出世するか」というような人生に関わるような事も、自分以外のだれかが決める。本人が有能かどうかは置いといて、有能だと思われている人が出世する。

営業など「数字で結果を示すことができる」職種はまだいい。数字で結果を示して周囲を黙らせる、という事が可能だ。数字があれば、実力をある程度客観的に示すことができる。営業成績が平均以下の人が、平均の数倍の数字をたたき出している人より有能だと判断されることは少ないだろう。たぶん。

しかし、数字で客観的に判断できない職種は、平均以下のポンコツが有能だと思われて出世することもしばしばある。そうなるとどうなるか?

 

一度、有能だと判断されてチャンスを与えられれば、そのチャンスをものにできるかもしれない。完全に成功しなくても経験を積むことはできる。経験を正しく積めば、本当の実力もついてくる。そうすれば更なるチャンスが与えられ、更に経験を積むことができる。その経験を生かして・・・、と好循環に入ることができる。

 

逆に、一度ポンコツだと判断されればどうなるか。それなりの実力があっても、評価がされなければチャンスはもらえない。チャンスがもらえないので経験を積むことができず、実力をつける事ができない。実力も上がっていかないし、チャンスもないので「ポンコツだ」との評判を覆す事もできない。そうなればますます状況は悪化し、実力も伸びていかない。有能だと判断されて、チャンスをもらえた人との差は広がるばかり。

これは完全に悪循環だ。

 

 

世の中はこんな風に出来ている。

良いか悪いかは関係ない。事実としてこういう風に出来ている。それを理解する必要がある。理解した上で、そのルールに沿って勝てるようにするしかない。

 

 

そんな世の中にあって、株式投資は実に平等だ。世間の評判も、本人の才能も、投資の手段も、努力の量も全く関係ない。

ただただ、結果が全てだ。

ルールがはっきりして、気分がよくないか?100mを9.98秒で走る人は、10.00秒で走る人より速いんだ。誰がどう見ても、9.98秒で走る人が勝ちだ。他の人の評判なんて関係ない。同じように、10年間で資産を5倍にした投資家は、2倍にしかできなかった投資家より優秀だ。

 

テストは平等。株式投資も平等。

不満があれば、株式投資で勝てばいい。がんばれ。

 

 

 

 ↓ 周囲に「有能だ」と錯覚させることを「錯覚資産」という。

  その解説本。とてもためになります。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている