私が小学校に入学する以前、しばしば伯父に連れられてパチンコ屋に行った。
その時代のパチンコは銀色のレバーを弾いて玉を1個1個飛ばしていくものだった。伯父は面白がって幼い私にもやらせていた。上手く弾いた玉は、パチンコ台の穴に吸い込まれる。そして沢山の玉が出てくる。
その行為に何の意味があるかは理解していなかったが、狙い通りに玉が飛んでいってたくさん玉が出てくるのは楽しかった。帰りにはチョコレートやポテトチップスを貰って帰った。
やがてパチンコは、レバーを弾くタイプからドアノブのような物を回すタイプに変わっていった。ドアノブを回すのは全く面白いと思わなかった。そのあたりで、伯父とパチンコ屋に行った記憶は途絶えている。私が小学校に入学したのかもしれない。
それから15年ほど経ち、私は大学生になった。
15年ぶりに友人に誘われてパチンコ屋に行った。タバコの煙が充満し、ギャンギャンジャラジャラとうるさい音楽がかかっていた。手持ちの5,000円があっという間にパチンコ台に吸われて消えた。
パチンコに興じる友人をしばらく見ていたが、30分ほどで帰った。
学生だった当時の私にとって、5,000円は大金だった。学生向けの食堂に入れば300円で定食が食べれるような時代だ。5,000円が消滅したことは大変な痛手だった。
もう二度とパチンコはやるまい。そう誓った。
その後更に時間が流れ、私は社会人になっていた。
職場にはパチンコ好きの同僚がたくさんいた。職場の喫煙室にはパチンコ攻略本が何冊も置いてあった。休み時間になると毎日のようにパチンコの話をしていた。
どこぞの店でなんとかという台を打って、3万負けたとか5万勝ったとか。あやしげな攻略方法とか武勇伝とか。そんな話をずいぶん聞かされた。
パチンコには全く興味が無くなっているし、1週間分の食費を失った学生時代の経験も忘れていない。話は聞いていたが(聞き流していたが)、再びバチンコ屋に行くことはなかった。
パチンコには興味がなかったが、何万円も勝ったという話は羨ましかった。多分、安定して勝つ方法もあるのだろうと思った。でも怪しげな攻略法を勉強したり、お金をかけて試行錯誤する気持ちにはならなかった。
しかし、パチンコで安定的に勝てる人に対する羨望の気持ちは消えなかった。
更に時が流れ、娘が生まれた。それをきっかけにして私は株式投資を始めた。
株式投資はパチンコよりずっと儲かる(可能性が高い)し、刺激的だ。
勉強にもなるし、経済的センスも身につくし、就職にも役に立つし (株式投資が最大のソリューションである カテゴリーの記事一覧 - )。
数万円を稼ぐために熱くなる人を冷静に眺めることが出来るようになる。
株式投資を始めたおかげで「パチンコで安定して勝てる人」をうらやむ気持ちは全く無くなった。
今思えば、自腹を切ったはじめてのパチンコで負けたのは本当に幸運だった。あの時に勝っていれば、その後パチンコにハマっている可能性もある。そのせいで多くのお金と、莫大な時間と労力を浪費していたかもしれない。タバコの煙もたくさん吸って、健康を害していた可能性すらある。
負けてよかった。
5,000円は、私がパチンコに近づかないための御札代だったのだ。